内田裕也さん・樹木希林さんと言えば、芸能界でたびたび話題になりましたよね。
そのお二人が若い頃、美男美女だったのはご存知でしたか?
2018年に鬼籍に入られた樹木希林さん。
その後を追うように、2019年に亡くなられた内田裕也さん。
波乱万丈なカップルの、若い頃の姿を追いかけてみました!
内田裕也の若い頃~真面目から過激へ!
少年時代は真面目だった!【発明・生徒会・スポーツ】
少年時代は真面目で勉強熱心。
およそ、内田裕也さんのパワフルなイメージからは、想像できないかもしれませんね。
発明に明け暮れた小学生時代から中学生時代。
中学では生徒会副会長を務めるなど、幼い頃からリーダーシップを発揮されていました。
ラグビー(中学時代)、野球(高校時代)とスポーツに打ち込んでいたことも。
そんな真面目少年だった内田裕也さんが、音楽の世界に足を踏み入れたキッカケ。
気になりますよね?
それが、当時日本中、いや世界中を轟かせた伝説のアーティスト「エルヴィス・プレスリー」だったんです!
バンドボーイ時代プレスリーに傾倒【日大夜学を中退】
プレスリーといえば、全世界で最も売れたソロアーティスト。
売り上げ記録は、レコード・カセット・CD合わせて6億枚以上とされています。
まさに「キング・オブ・ロックンロール」の名に恥じない偉大な人物。
当時の、内田裕也少年が心酔してしまっても、全く不思議じゃないんですね。
行動力が有り余っていたのか、高校を転校(旭高校→三国ヶ丘高校)し、卒業後に入った日本大学法学部(夜学)を中退。
そこから、バンドボーイ時代を過ごした内田裕也さんは、ロッケンローラーへの道を歩むことになりました。
破天荒なロッケンローラー時代【バンドを渡り歩く】
ブルー・キャップス(バンドボーイ兼ヴォーカル)
↓
ブルージーン・バップス(バンドマスター)
↓
サンダーバード(かまやつひろし)
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ダブル・ビーツ(田川譲二)
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ブルージーンズ(寺内タケシ)
10代から20代前半、様々なバンドを渡り歩いた内田裕也さんでしたが、1960年代中ごろからロック色を強めた活動に変わっていきました。
ベンチャーズやビートルズの大流行で、音楽性が変化していったんですね。
それでも変わらなかったのは、過激な性格。
たびたび悶着を起こして、警察沙汰になったこともありました。
後に妻となる樹木希林さんとの結婚(1973年10月)で、性格は丸くなったのでしょうか?
次は、樹木希林さんの若い頃を探ってみました。
樹木希林の若い頃~ドラマブレイクして個性派女優へ
樹木希林の若い頃は可愛かった?【内田裕也も一目惚れ】
若い頃は、樹木希林さんのイメージからは程遠い、若者ファッションに身を染めていたことも。
白黒写真ばかりですが、今の時代でも可愛いと感じるお顔立ちをされています。
イケメン青年だった内田裕也さんが、コロッと参ってしまうのも納得ですね!
芸名の樹木希林は、いつ頃から使うようになったのでしょうか?
調べてみたところ実は、1977年4月(当時34歳)になってからだと判明しました!
それまではどんな芸名だったのか、詳しく見てみましょう。
女優活動は別名義?【昔は悠木千帆だった】
樹木希林という、ちょっとユニークな響きの名前。
これは後付けのものでした。
中谷啓子(結婚後に内田啓子)が本名だった樹木希林さんは、高校時代に演劇部に所属。
卒業後に、劇団「文学座」の研究所に入団し、女優活動をスタートされました。
最初の悠木千帆という芸名は、父親の「芸能界では勇気が必要」という考えが元に。
樹木希林【不思議な芸名の誕生秘話】
悠木千帆の芸名をオークション(スゴイ斬新!)に掛けて、売上はチャリティーとして寄付されました。
芸名売却後の新しい樹木希林というネーミング。
これは「樹や木が集まり希(まれ)な林を作る=みんなが集まり何かを生み育てる」というもの。
集団のパワーが何かを生む。
それを育てるという価値を、希林さんは若い頃から、肌身で感じていたのでしょうね。
七人の孫・時間ですよ【国民的女優の仲間入り】
樹木希林さんは、1964年のドラマ「七人の孫」でレギュラーを獲得、一躍人気者になりました。
1970年からレギュラー役を務めた「時間ですよ」では、個性派女優の地位を確立。
文学座時代の型にハマった役柄から、第二の役者人生への転機が訪れます。
それが名優・森繁久彌さんとの出会いでした。
森繁久彌さんの、脚本無視→現場でどんどん役柄を作っていくスタイル。
この出会いがキッカケとなり、樹木希林さんはテレビ女優への道を歩むことになります。
なかなか目が出なかった内田裕也さんと対照的な人生ですよね。
そんな二人が知り合うことになった、馴れ初めについても見てみましょう。
内田裕也と樹木希林の馴れ初め【知り合って5カ月でスピード婚】
1973年10月に結婚(内田裕也33歳・樹木希林29歳)されたお二人。
内田裕也さんの友達・ムッシュかまやつさん出演のドラマ現場で、共演中の樹木希林さんを見て一目惚れ!
それからわずか5か月後に結婚というスピード婚で、当時芸能界で大きな話題にもなりました。
婚姻届けは樹木希林さんが署名して、役所に提出。
ジーパン姿で結婚式を挙げた逸話もあるほど、内田裕也さんはロッケンローラーだった様子。
内田裕也のすべてが好き
彼を好きになると大変
生まれ変わったら好きにはなりたくない
樹木希林さんは、後にこんな発言をするようになります。
内田夫妻の間には、一体何が起きていたのでしょうか?
結婚後の内田裕也と樹木希林【度重なるDVでも離婚を拒絶】
結婚からわずか1年と半年で別居生活がスタート。
その後別居生活をすることになったのは、内田裕也さんのDVが原因でした。
毎晩のように暴れ回って、家の中はメチャクチャ!
何度も渋谷警察署に相談して、通報したら即、駆けつけてくれるようになったとか。
人生思い通りにいかないこともあるでしょうが、ある意味不器用で社会に溶け込めず軋轢が増えていったのかもしれませんね。
そんな内田裕也さんが起こす暴行騒ぎにも、希林さんは徹底して離婚を拒絶。
あんな男を放っておいたらもっと迷惑をかける
自分がいることで最後の一線を越えさせないようにしてる
こんな風に、自虐ともとれるコメントを発するようになります。
家族写真で丸くなった?【内田ファミリーの家族仲】
二人の間に誕生した一人娘の内田也哉子さん。
俳優の本木雅弘さんと結婚して話題になりましたよね。
後年、ご家族そろって撮影された家族写真が公開されました。
度重なる暴力騒ぎを起こしつつも、家族の絆を斬られることなく、生涯を終えた内田裕也さん。
大麻取締法違反(77年)、銃刀法違反(83年)、そして強要未遂と住居侵入容疑(11年)と逮捕歴は実に3回も!
その陰には、妻としていつも見守り続けて来た、樹木希林さんの愛情が垣間見えるのです。
2018年に樹木希林さんが亡くなられたときに、内田裕也さんは大変なショックを受けることに。
心の整理がつかない
見事な女性でした
この簡潔な言葉の裏からは、ご本人たちにしかわからない深い夫婦の絆があったハズ。
今となっては想像するほかありませんが、内田ファミリーの家族の絆が、家族写真から伝わって来るように思えます。
内田裕也と樹木希林の若い頃まとめ
イケメンロック青年と国民的女優との結婚後の同居生活は、わずか1年半で終了。
それでも、夫婦の絆は切れないまま、樹木希林さんの没日(2018年9月15日)を迎えることになります。
それから後を追うように、約半年後(2019年3月17日)に、内田裕也さんも。
きっと、天国で波乱万丈な人生の続きを、楽しんでいらっしゃるのかもしれませんね。
内田裕也さん 亡くなったのか
樹木希林さんが亡くなって
弱ってたもんな
天国でも樹木希林さんにロックンロール!て言ってそうだ pic.twitter.com/V5G8pQrpmr— Hilo トゥットゥルー♪JOJO (@JOJO_zero_143) 2019年3月17日
巻末おまけ:内田裕也のシェキナベイベーとは?
内田裕也さんといえば、特徴的な名セリフ「シェキナベイベー」が印象的ですよね。
一体どういう意味なのか、今まで知らなかったのですが、この機会に調べてみました。
「シェキナベイベー」は、英語の「Shake it up,baby!」のことです。
直訳すると「もっと振りな!かわいこちゃんたち!」といったところでしょうか。
意訳するなら「もっと弾けようぜ!!」といった意味になるようですよ。
内田裕也さんが1966年のビートルズ日本公演の際に、前座を務めたこともあったからでしょう。
ビートルズに対するリスペクトから使うようになったと言われています。
ビートルズの名曲「Twist and Shout」の歌詞の一節に出てくる「Shake it up,baby!」。
風邪を引いて枯れた声のジョンレノンの、渾身のシャウトがファンの胸を直撃!
以後、「Shake it up,baby!」はロックの象徴となっていくことに。
ロックンローラー内田裕也さんも、すっかり「Shake it up,baby!」の虜になってしまったようですね。