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照強の読み方はてるつよし?淡路島出身で派手な塩撒きも実は家族思い

4分

照強 塩

力士の照強関が話題を集めています。

身長169cmと小柄な体格ですが、取組前の塩撒きで、ド派手に大量の塩を撒くことで、一躍人気者に!

そんな照強関ですが、名前の読み方や出身地、成績などいろいろ気になりますよね?

この記事では、照強関の読み方や、有名なエピソードについてお伝えします!

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照強関の本名は照強翔輝?読み方は??

照強

https://images.app.goo.gl/FnDbq8CWnKQ936Gw7

照強関の本名は福岡翔輝(ふくおか しょうき)さんです。

照強はてるつよしと読みます。

四股名(しこな)の由来は、「強くなって周りを明るく照らす力士になれ!」と伊勢ケ浜親方が名付けたそうですよ。

体重130kgという、軽量を補うためにスピードを活かした取り組みが得意技の照強関。

左差しを浅く取って拝むようにしつこく攻める相撲で、人気を集めています。

同じく、小柄な力士の炎鵬関は身長168cm、体重99kg。

角界の中で1,2を争う小型力士同士の対決は、見ものですので、まだ見られてない方は是非、動画をご覧ください!

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照強関の耳の形が特徴的?生年月日が凄かった!

照強関の耳のカタチが変わっていることに、気が付いている方はどのくらいいるでしょうか?

これは柔道や格闘技をしていて、寝技を練習するうちに、耳の形が変わってしまうことが原因のようです。

幼少の頃は病弱で、よく風邪を引いてしまう子供だった照強関。

それでも気が強く、6歳のころには親の名前ですら、呼び捨てにするやんちゃぶりを発揮していたとか。

実は、照強関の生年月日は1995年1月17日。

しかも、兵庫県淡路島の出身。

照強 子供時代

https://images.app.goo.gl/G2jVp8cLxniJBfD59

この2つを聞いてピンときた方も多いと思いますが、阪神・淡路大震災の当日に生まれていたんですね!

なので、「地震くん」とあだ名されたこともあったそうです。

1年から柔道を始めていましたがが、当時は道場へ行くことを嫌がったとか。

耳の形が変わったのは、小学生時代の柔道経験が原因なのでしょうか?

柔道をしていた照強関が、相撲の道を進まれたキッカケに付いても調べてみました。

そこには両親の離婚があったのです。

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照強関が苗字を変えなかったのは姓名判断の結果?

福岡翔輝 姓名判断

https://enamae.net/

両親の離婚を体験したのが小学3年生の頃です。

母親(菊井真樹さん)の旧姓・菊井に改姓することなく、父親の姓・福岡にしたのは姓名判断の結果だとか。

試しに姓名判断の結果を調べたところ、確かに運勢が大きく違うことが判明しました。

菊井翔輝 姓名判断

福岡翔輝

菊井翔輝よりも、福岡翔輝の方が総格(総運)では6つも勝っていますね。

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照強関が相撲に取り組むことになったキッカケは?

照強 塩

https://images.app.goo.gl/eykqGeKKBi3UPTWo6

小学4年生の時に、わんぱく相撲の大会に飛び入り参加。

2位になったことをきっかけに、相撲を始めて地元の相撲道場に通うようになりました。

中学生の頃には、全国大会でベスト16の好成績を残しています。

所属していた相撲クラブは非常に厳しく、38度の熱で休んだ翌日の稽古で監督から竹刀で殴られたことも!

「40度なら休んでもいいが、39度なら見学だ!38度なら稽古してるうちに治る!!」

この厳しい稽古に耐えて続けた成果が、今の力士人生に繋がっているとしたら…。

スパルタ教育も効果があったことになりますね!

通学していた中学校には相撲部が無く、サッカー部に所属してゴールキーバーをしたことも。

ところが、3年生になるころには相撲道場には通い続けたものの、学校には通わず遊び惚けていたそうです。

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照強関が角界入りしたキッカケは祖父の遺言だった?

照強

https://images.app.goo.gl/AJgujQndFY1d1aqL8

出席日数が30日しかなくなるまで、夜通し遊び続けた荒んだ毎日を送っていた照強関。

中学卒業後、高校に進学しなかったのは、勉強嫌いだったからと言われています。

既に逝去されていた祖父・菊井龍夫さんから、生前から「力士になれ」と言われ続けていたようですね。

その言葉を守ったのか、中学卒業後は大相撲に入門することを決意します。

相撲道場の監督と師匠が知り合いという、関係もあって伊勢ヶ濱部屋(元横綱・旭富士)に入門を果たします。

身長は入門当時、なんと167cmと新弟子検査の基準ギリギリ!

現在は廃止されましたが、第二新弟子検査に合格して、2010年(平成22年)3月場所で初土俵を踏みました。

その後わずか6年で関取に昇進!

2016年(平成28年)11月場所で照強関は、当時西幕下9枚目で7戦全勝でした。

「1年に1回、チャンスが来れば良い方なのに、2度もチャンスがある。経験を生かしたいです」と話していたそうですよ。

照強関が強くなったのは猛稽古と筋トレが理由だった!

照強 日馬富士

https://images.app.goo.gl/SgRYaU3qgDENK9JR9

中学卒業後に、15歳で角界入り、入門を果たした照強関ですが、当時は体重が85kgくらいしか無かったそうです。

体重を増やすために、1食でラーメン用のどんぶり3杯分のご飯を食べ続け、現在は130kgにまで増えています。

その後、順調に2年で幕下力士に昇進したものの、パワー不足に悩まされることになります。

体格差で劣る分を稽古の量でカバーしようと、毎日100番近い取り組みを続けたそうです!

猛稽古で知られる伊勢ケ浜部屋の中でも、伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)に太鼓判を押されたこともありました。

また、兄弟子の元横綱・日馬富士関から「小さいんだから人の3倍やらないとだめだよ」と受けたアドバイス。

伊勢ケ浜親方のススメもあって、筋力トレーニングも追加!

そのことを忘れず、稽古を続けた結果、前まわしを取れば、大柄な力士とも互角に渡り合えるように。

猛稽古と筋力トレーニングの成果が、現在の活躍に繋がったことは、取り組みを見れば良く理解できますね!!

阪神・淡路大震災の日に生まれた照強関が背負うものとは

照強 祖父の墓

https://images.app.goo.gl/Fn7pJi3AGZviUAmp8

照強関は、自分の震災の日に生まれた運命を強く背負って生きていました。

  • 重量に上がれば毎日相撲が取れる!
  • テレビで見てもらえる!
  • 被災した人たちに力を与えられる!
  • みんながワクワクするような相撲を取りたい

マスコミから毎年、震災の日に運命の子として取材されてきた過去もあります。

自分の運命を受け入れて、四股名の通り、「強くなって周りを明るく照らす力士になれ!」を体現されてきたのです。

東日本大震災の時も、自分が頑張ることで、周りを明るく照らすことができる。

そう考えて、厳しい稽古や筋トレに励んでこられたのでしょう。

照強まとめ

照強 沙季

https://images.app.goo.gl/d56C7beVkrT3TeDj6

以上、照強関についてお伝えしました。

淡路島出身の関取は、1961年九州場所の若鳴門(春日野)以来、55年ぶりのこと。

家族思いの照強関は、2016年9月に肝臓がんで亡くなった祖父・菊井龍夫さんのお墓を建てる費用を全額負担。

また、兵庫県内の看護系の大学に通う妹の沙季さん(20)の受験費用も工面していました。

沙季さんは、兄の照強関にソックリですが、すごくカワイイ女の子で、兄妹仲も良さそうです。

そんな、身も心もたくましい照強関の、今後の取り組みが楽しみですね!

照強関のさらなるご活躍を心から応援しています!

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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