ピューマ渡久地さんと言えば、鬼塚勝也、辰吉丈一郎と並び「平成の三羽ガラス」と称された元プロボクサー。
実は、重度の記憶障害に掛かっていることが判明しました!
自分の年齢さえ分からなくなった原因や、ご家族の反応など、気になりますよね?
爆報!THE フライデーで、4月や9月に報じられてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、ピューマ渡久地さんについて、わかったことをお伝えします!
ピューマ渡久地はプロデビューから11連続KO!3人の子宝にも恵まれた
ピューマ渡久地さんは1988年に18歳でプロデビュー。
デビュー戦から11戦連続KO勝利など、輝かしいキャリアを積んだ実績があります。
(デビュー戦から11戦連続KO勝ちは日本歴代3位の記録です!)
1990年代初期の日本プロボクシング界で活躍したため、今でも名前を憶えている方が多いハズ。
1993年に23歳で生田聡美さんと結婚し、3人の子宝にも恵まれました。
- 長女・梨以 (りい・25歳)
- 次女・旺羅 (おうら・20歳)
- 長男・琉雄 (るお・18歳)
沖縄在住とはいえ、キラキラネームも南国風ですよね。
ご家族そろってイケメンと美人の家系で、うらやましくなってきませんか?
そんな渡久地一家に突然の不幸が襲い掛かることになります。
一体どのような悲劇が降りかかったのか、詳しく見ていきましょう!
ピューマ渡久地の離婚・記憶障害・逮捕事件
ピューマ渡久地さんは、2001年にボクシングジムを設立されたのですが、長く続くことはありませんでした。
しかも、慣れないジム経営でストレスがたまり、夫婦関係が悪化!
結婚13年目の2006年には離婚が成立したため、妻と3人の子供と離れることになりました。
そんなピューマ渡久地さんを更なる悲劇が襲い掛かります!
現役時代の競技生活を要因としたパンチドランカーの症状が悪化したため、2016年には沖縄の実家に帰京して療養を開始。
ところが、てんかん発作を繰り返したため記憶障害が重くなり、自分の年齢も分からないほど症状は悪化していきました。
散歩に出かけると、自宅の場所を忘れることはしょっちゅうです。
あまつさえ、2016年7月2日には、うるま市で泥酔状態で傷害事件を起こし、現行犯逮捕されたことも。
なんだか信じられない展開で、頭がクラクラしてきました。
どうしてこんなにも不幸になってしまったのでしょうか?
ピューマ渡久地の現在は沖縄で要介護生活?
沖縄で祖母と母、父と4人で同居生活をしていたピューマ渡久地さん。
現在、元妻の生田聡美さんや、お子さんたちとは別居生活中なんです。
ピューマ渡久地さんは、現役時代にパンチを浴びすぎたため、パンチドランカーになってしまいました。
その影響で、自分の年齢や自分の娘の名前すら思い出せない、重度の記憶障害で要介護3級の状態に。
しかも、1年ほど前から祖母が24時間要介護のため、母親がピューマ渡久地さんと祖母の2人を介護しているそうです。
その介護疲れで、母親も過労に倒れてしまいました。
文字にするだけでも、心が痛むエピソードばかりですよね?
そんな悲惨な生活をしていたピューマ渡久地さんたちの元へ、なんと長女の梨以さんが仕事を辞めて駆け付けてくれました!
娘との感動の再会で、思わずホッとしたのもつかの間。
渡久地家には更なる悲劇が待ち受けていたんです…。
ピューマ渡久地は長女と感動の再会を果たしていた!
13年ぶりの再会にもかかわらず、名前が分からない父親に泣いて自己紹介した長女の梨以さん。
その姿に、ようやく娘だと思いだして、熱い抱擁を交わしたピューマ渡久地さん。
記憶障害というものが、どれだけ残酷に胸に突き刺さるものなのか、痛い程伝わって来ましたね。
ピューマ渡久地さんが、実家の玄関で梨以さんと再会するも「どちら様ですか?」と質問!
娘が誰だか理解することができなかったのでしょう。
「パパ、パパ…」と何度も呼び掛けられて、ようやく「梨以(りい)だね。分からなかった。ごめんね」と反応。
その後、居間に上がって向かい合って座っても、状況が理解できない状態が続きます。
気まずい状況の最中、長女の梨以さんが、涙ながらにこう語ります。
「さっき会った時に分からなかったのは辛いけど、パパとまた思い出をつくりたいと思っている」と。
さすがのピューマ渡久地さんも、鬼の目に涙だったのでしょうか、「ごめんね…ありがとう…」と涙を流して謝り続けました。
ココだけ見れば、感動の親子の再会劇と言った感じで、感動の渦に包まれるところなのですが…。
記憶障害と言う正体の、ホントの恐ろしさを痛感する出来事が、これから待ち受けていたのです。
ピューマ渡久地は子供たちと再会したことも忘れてしまった!
その後、サプライズで沖縄に遊びに来た次女・旺羅さんと、長男・琉雄くんとも感動の再会を果たします!
3人の子供たちと楽しそうに、笑顔で談笑するピューマ渡久地さんの姿に、思わずうるっと来た方もいることでしょう。
ところが、子どもたちと離れた数時間後には、この出来事をスッカリ忘却してしまっていました!
「今日子供たちが来たんですか?」と語ったピューマ渡久地さんの姿には、おもわず絶句。
かろうじて覚えているのは、長女のことだけでした。
「記憶を忘れてしまっていることは責められることじゃない。それを防ぐには新たな記憶をつくることだと思います」
父親の介護のために、同居生活をしていた長女の梨以さんは、このように語っていましたが、さすがに内心穏やかじゃなかったのではないでしょうか?
それにしても、けなげなお子さんたちだと思いませんか?
それに比べて元嫁は一体何をしているのだろうと、不思議に思った方もいらっしゃるかもしれませんね。
元嫁の生田聡美さんは、離婚後何をしていたのでしょうか?
ピューマ渡久地の元嫁はボクシングジムの経営者になっていた!
ピューマ渡久地の元嫁の生田聡美さんは、なんと東京都港区東麻布という好立地で、ボクシングジムを経営していました。
ジムの名前にピューマ渡久地と入っていることから分かる通り、まだ2人が夫婦の頃から経営していたジムが残っていたんです!
前述の通り、ジム経営にストレスを感じて夫婦仲が悪化したことが原因で、2人は離婚。
それでも、ジム経営を続けたのは、ひとえに生田聡美さんがやり手だったからなのでしょう。
ピューマ渡久地さんが沖縄に戻った後は、元嫁の生田聡美さんがジムの代表者に就任しました。
女性ならではの視点で、ダイエットやフィットネス目的の新規顧客を集めて、経営は安定。
ボクシングブームに左右されない経営スタイルに転向したことが、功を奏したのか若い方や女性を中心に人気を集めるようになりました。
ピューマ渡久地まとめ
以上、ピューマ渡久地さんについてお伝えしました。
ピューマ渡久地さんは、沖縄で祖母と父と母と暮らしていました。
祖母と息子の介護疲れのせいか過労で倒れてしまった母親…。
そこへ長女の梨以さんは、仕事を辞めてピューマ渡久地さんの介護のために沖縄へ移住されました。
ピューマ渡久地さんには、3人のお子さんがいます。
- 長女・梨以 (りい・25歳)
- 次女・旺羅 (おうら・20歳)
- 長男・琉雄 (るお・18歳)
元嫁の生田聡美さんは、ピューマ渡久地ボクシングジムの代表者になっています。
いつか、ピューマ渡久地さんの記憶障害が改善されて、幸せな思い出を忘れないような暮らしが出来るよう応援しています!
現役時代にピューマ渡久地さんのファンだった方も応援していると思います!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。