永瀬廉(King & Prince)さんの父親の職業が、ヘリコプターのパイロットだという噂が流れています。
凄く変わった職業で、かっこいいですよね!
ただ、そのせいなのか、永瀬廉さんは幼少時から転校を繰り返すことに。
「転校6回でとても暗い性格になった」という話も合って、今の明るい永瀬廉さんからは、想像が出来ません。
父親の職業が、ヘリコプターのパイロットで、転校回数が多い???
いったいどういうことなのか、気になりませんか?
この記事では、永瀬廉さんの父親の職業について、わかったことをお伝えします!
永瀬廉の父親は何のパイロット?
実は、永瀬廉さんの父親はパイロットだという噂が!
この情報を知って、詳しく調べてみました。
テレビ番組・嵐にしやがれで、出演された永瀬廉さんが、ご自身で父親の職業のことを説明されています。
しかも、ヘリコプターのパイロットということです。
とても変わったご職業なので、どんなタイプがあるのか調べてみました。
永瀬廉の父親はどこのヘリコプターパイロット?
ヘリコプターのパイロットと言っても、いろいろあるんですね。
例えば航空会社のヘリだったり、ドクターヘリ、そして自衛隊ヘリなど種類も複数あります。
永瀬廉さんが、転校回数6回と、頻繁に引っ越しをされていることから、父親の職業は公務員の可能性が浮上します。
ヘリコプターパイロットの公務員の勤務先は、自衛隊・海保(海上保安学校)・警察・消防などなど。
特に可能性として高いものは、陸上自衛隊です。
予測ですが、ズバリ「陸上自衛隊 八尾駐屯地」に勤務していたのではないでしょうか?
その根拠について、詳しく見てみましょう!
永瀬廉の中学生時代にヒントがあった!?
永瀬廉さんは、12歳から15歳まで大阪で生活していたことがあります。
- 中学:八尾市立成法中学校 2011年4月から2014年3月まで
- 住所:〒581-0006 大阪府八尾市清水町2丁目2−5
れんれんほぼ中学生の時だけ大阪なのにコテコテの大阪弁は、八尾の洗礼を受けたからなのね
同級生と話すれんれんは、楽しそうでほのぼの(^ ^)
アー右近敬一郎先生、永瀬廉くんが成績が良かったと言う台詞は、どー考えても先生の台詞なんで、次の取材の時は、忘れんとゆうて下さい。#永瀬廉#右近先生— 越智 果梨 (@00N0310SHIara4) 2018年10月22日
八尾市=河内弁のメッカで、コテコテの大阪弁(関西弁)が主流だったんですね!
一方、永瀬廉さんの父親の勤務先と思われるのが、陸上自衛隊 八尾駐屯地。
- 陸上自衛隊 八尾駐屯地
- 住所:〒581-0043 大阪府八尾市空港1丁目81
この近くに八尾空港もありますね。
地図で確認しますと、八尾市立成法中学校と陸上自衛隊 八尾駐屯地の間に、大和路線が通っています。
生活圏を想像しますと、恐らく、中学校と駐屯地の間に自宅があった可能性が高いのではないでしょうか?
永瀬廉の父親はエリート自衛官で転勤一家?
空自・海自・陸自と種類はありますが、永瀬廉さんの父親は、陸自のエリートパイロットの可能性が最も高そうです。
全国転勤が当たり前の自衛官一家に生まれ育った、永瀬廉さんは3~4年おきに転校する生活を余儀なくされます。
幼稚園の時に3回・小学校の時に3回。
転校回数6回と、とても多いですよね。
そのせいでしょうか、とても暗い性格だった、子供時代を過ごされたと、永瀬廉さんは発言されています。
エリート自衛官に付き物の悩みだと思いますが、1~3年で配置換えも多く、同じ部隊に2年といないケースもあるそうです。
昭和37年発足。北陸、東海、近畿、中国及び四国の2府19県にわたる広範囲な地域において、
主にヘリコプターによる人員、物資の空輸や航空偵察などを行う任務を有しており、
防衛警備任務をはじめ、風水害、林野火災、行方不明者の捜索、救急患者空輸等の災害派遣や、
国際平和協力活動の待機等昼夜を問わず活動しています。また、防災訓練への参加など地域社会への積極的な支援を通じ国民生活の安定に寄与しています。
出典:陸上自衛隊 八尾駐屯地HP 中部方面航空隊
永瀬廉さんの父親は、第5対戦車ヘリコプター隊または、中部方面ヘリコプター隊に所属されていたのでしょうか。
防衛警備や、災害派遣など、活躍される部署に所属されていたとしたら、息子の永瀬廉さんも鼻が高いでしょうね!
陸上自衛隊 八尾駐屯地のヘリコプターの、アクロバット飛行の動画が見つかりましたので、ご覧ください!
ここまで高い操縦技術を習得された陸自ヘリコプターのパイロットは、スーパーエリートなのです。
動画の公開された年が2013年(永瀬廉さんが13~14歳頃)なので、もしかしたら、永瀬廉さんの父親がこの動画のパイロットだった可能性もあるかもしれませんね。
永瀬廉の父親の職業まとめ
以上、永瀬廉さんの父親の職業と、転校回数が多かった理由についてお伝えしました。
東京生まれ→名古屋→大阪→北海道→大阪→東京と、日本各地を転々とされた永瀬廉さん。
転校して1~2週間で告られたとか、数々の逸話があることを、永瀬廉さんご本人が語っていました。
転校回数が多かった経験が、永瀬廉さんの成長を促し、親しみやすい明るい性格になったのかもしれませんね。
逆境を逆にバネとして、ジャニーズ入りして才能を開花させた永瀬廉さん。
トレードマークの大阪弁(関西弁)も、この転校によって、身に付いたものです!
そんな永瀬廉さんの今後のご活躍を心から応援しています!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。