うたのおねえさんとして有名なのが、はいだしょうこさんですね。
19代目のうたのおねえさんの活動で有名ですが、宝塚歌劇団出身の元タカラジェンヌだってことはご存知でしたでしょうか?
この記事では、はいだしょうこさんの歌唱力の高さの秘密について、迫ってみたいと思います!
はいだしょうこの歌唱力の高さは「うたのおねえさん」をしていたから?
はいだしょうこさんは、第19代目うたのおねえさんとして活躍されていました。
NHKの子供向け向け番組『おかあさんといっしょ』は、1959年から続く人気の長寿番組です!
2003年4月7日から2008年3月28日までの5年間を、はいだしょうこさんは「うたのおねえさん」として過ごされてきました。
うたのおねえさん時代には過酷な制約が課せられていた!!
「うたのおねえさん」時代には、様々な制約条件が設けられていたため、日常生活にも支障が出ていたそうです。
たとえば、このような制約があったとか。
- 「恋愛禁止」
- 「海外旅行禁止」
- 「車の運転禁止」
- 「どんなに体調が悪くても“いつも元気”に振る舞う」
現役のアイドル以上に厳しい、これらの制約を乗り越えられたのは、宝塚時代の経験があってのこと。
1979年3月25日生まれのはいだしょうこさんは、当時24歳から29歳と言う年齢だったんです。
これっていわゆる結婚適齢期ですよね?
そんな人生において重要な時期を「うたのおねえさん」というポジションのために捧げられる覚悟は、どうして身に付いたのでしょうか?
はいだしょうこのオーディション時の注目エピソード
実は、『おかあさんといっしょ』の「うたのおねえさん」というポジションは、オーディション方式で選ばれるほど高い人気を誇っています。
小さな子供の頃から、『おかあさんといっしょ』を見て育った女性が、将来就きたいと夢見る憧れの仕事の1つですよね。
実際に、はいだしょうこさんもその中の一人だったワケですが、オーディション時のエピソードが見つかりました!
ライバルだらけの控室で、オーディションが始まるのを待つ間、参加者たちはそれぞれ楽譜を読みふけっていました。
最後まで残った最終候補者6名が控室でいたときに、ある出来事が起こったのです。
1人の参加女性が分からないことがあると、周囲の参加者たちに声を掛けたところ、みんな自分のことに集中して無視したそうです。
そんな最中、反応したのは、はいだしょうこさんだけでした。
採用倍率600倍を乗り越えた素質と努力
みんなライバルが困っていても助ける余裕が無かったのか、或いはチャンスと思い込んでいた節がありますね。
その姿を、審査員が見ていたことから、はいだしょうこさんが選ばれる大きな要因になったと言われています。
このように、困った人を見捨てない姿勢がオーディション時に備わっていたこと。
これが「うたのおねえさん」を務める5年間、自分の私生活すら捧げられるほどの、強い克己心を証明し続けた根拠と言えますね。
一説には、「うたのおねえさん」になるための採用倍率は600倍の超難関。
東京大学理科Ⅲ類に合格するよりも難しいと言われているほどの、ポジションだったんです。
こんなポジションを獲得して活動し続けたのは、はいだしょうこさんの素質と努力が並々ならぬものだったことは、容易に伺えますね。
次に、はいだしょうこさんが過ごされた、宝塚時代のエピソードを見てみたいと思います。
はいだしょうこの歌唱力の高さは「宝塚歌劇団でエトワール」をしていたから?
はいだしょうこさんが宝塚歌劇団に入ろうと考えたのは、中学2年生の頃のこと。
実は1度目の受験では不合格となっていることが判りました!
1996年に、高校2年生の時に2度目の受験で合格したため、それまで通学していた国立音楽大学附属高等学校声楽科を中退されています。
宝塚音楽学校の合格率は倍率30倍
宝塚音楽学校に合格するためには、倍率30倍の条件をクリアする必要があると言われています。
非常に狭き門であることが理解できますね。
16歳で宝塚音楽学校に入学したはいだしょうこさんには、過酷な生活が待ち受けていました!
一般常識が通用しない鉄のルールがある宝塚音楽学校。
上下関係が非常に厳しく、顔が生意気だという理不尽な理由で良く怒られていたそうです。
宝塚音楽学校時代に基礎が備わった!
毎朝1時間半を掛けて、校内の掃除をする義務もありました。
床に髪の毛1本ですら落ちていてはいけないために、ガムテープを使って取り除く作業をしていたとか!
掃除中に抜け落ちてしまう可能性もあるため、とても神経をすり減らす作業だったのではないでしょうか?
また、窓の桟(さん)の埃や汚れを取り除くために、綿棒を使って入念に清掃する必要もありました。
毎朝5時には寮を出ていたと言いますから、どれだけ早起きしなければいけなかったのか、考えただけで恐ろしいですね。
そんな厳しい日常生活を続けるうちに、自然と強い精神力が身に備わったことが、後の人生の役に立つことになりました。
インタビューなどで、はいだしょうこさんは宝塚時代を「私の基礎を作ってくれた場所」と、目を潤ませて答えたこともあります。
エトワール役に大抜擢された理由
1998年に宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団の星組の娘役として活動後、2002年の秋に退団。
短い期間ですが、はいだしょうこさんは宝塚歌劇団で、4年間活躍されていました。
中でも注目したいのが「エトワール」を3年目で務められたことです。
「エトワール」はショーの中でも盛り上がりを見せるパレードで、最初に歌い始める人の事。
中央でピンスポットを浴びながら歌うため、タカラジェンヌたちにとって憧れのポジションなんですね。
そんな宝塚の華を、はいだしょうこさんは通常最低でも、6年以上公演をしてこないと与えられない条件をショートカット!
その時のステージの動画を見つけましたので、ぜひ一度ご覧になってみて下さいね。
※動画を再生できませんと表示されますが、そのままクリックすると動画のページにジャンプできます。
通常の倍のスピードでの異例の大抜擢となった理由は、はいだしょうこさんの高い歌唱力が認められたためと言われています。
はいだしょうこさんは、いったいいつの間に、そんな高い歌唱力を身に着けたのでしょうか?
はいだしょうこの歌唱力の高さは「童謡歌手」をしていたから?
はいだしょうこさんの宝塚時代の成績は、実はさほど高いものでは無かったそうです。
宝塚時代の芸名「千琴ひめか」は主役になったことは1度もなく、エトワールも2回務めただけでした。
(84期の同期生では音月桂さんが4回、遠野あすかさんが3回エトワールを経験)
それでは、はいだしょうこさんの歌唱力の高さが身に付いた、過去に付いて調べてみましょう。
日本の大作曲家・中田喜直に指導を受けていた
日本を代表する作曲家・中田喜直さんに童謡やポップスを習っていたことが判明しました。
中田喜直さんといえば、数々の童謡や楽曲を作曲したことで、有名な方なんです。
『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』など、今でも小中学校の音楽の時間で習う歌ですよ!
はいだしょうこさんの声楽の師匠(=育ての親)としても有名なようですね。
中田喜直さんの指導方針はとても優しく素直なものでした。
「素直に、おしゃべりをするように歌ったらいいよ」
「声を作らず、そのまんまで」
「力を抜いて自然に発声するんだよ」
などなど、はいだしょうこさんの才能を真っすぐ伸ばすものでした。
はいだしょうこは実は気弱な引っ込み思案だった!
小学5年生の頃から、中田喜直さんに習って歌を歌い始めるまでは、はいだしょうこさんはとっても気が弱かったんです。
今のバラエティや、ドラマに出演しているテレビ番組からは想像もできない程、おしゃべりが苦手な子供でした。
極度の人見知りで、いつも母親の陰に隠れて、1人では買い物にも行けない程の引っ込み思案。
今のハツラツとしてはいだしょうこさんからは、全然全くこれっぽっちもひとかけらも想像出来ませんね!
たったひとつ、恥ずかしがらずに人前に立てる条件だったのが、歌を歌うとき。
実は、はいだしょうこさんの父親はピアニストで、母親は声楽科のご出身。
1つ年上の姉も大の音楽好きと、音楽一家で生まれ育った環境がありました。
一人では何もできなかったはいだしょうこさん、自信をもって自己表現できるのは歌だと、気づいたことが歌の世界に飛び込むキッカケとなります。
歌の世界に行ったのは必然だった!
はいだしょうこさんは、全国童謡歌唱コンクールで受賞することを目標に、音楽活動を開始。
その結果見事、グランプリ賞を受賞されています。
コンクール後に、中田喜直さんから作曲した歌を歌ってくれないかな、と打診されたこともありステージに立つようになります。
思うように歌えなかったときも、怒鳴り散らすこともなく、穏やかに優しく諭すような、丁寧な指導を受けてメキメキ上達していきました。
気が弱く、大人しかったはいだしょうこさんが、萎縮せずステージ上で伸び伸びと謳うことが出来たのは、中田喜直さんのおかげです。
平日は学校で、土日はコンサートと言う忙しい学生時代を過ごすうちに、将来歌の世界に行きたいと考えるようになったのも理解できますね。
はいだしょうこさんの宝塚音楽学校への進学時にも、中田喜直さんは親身になって相談に乗ってくれたとか。
このように家族や師匠に恵まれたこともありますが、過酷な歌の世界でこれまで活動を続けてこられたのは、はいだしょうこさんの資質によるものなのでしょう。
はいだしょうことCDデビューした横田裕一とは?
実ははいだしょうこさんが、12歳の時にCDデビューを果たしていたことが判りました!
画像にある童謡アルバムのピアノを恩師・中田喜直さんと父親の拝田正機さんが担当されています。
ソロではなくデュオということで、気になる相方はなんと天才少年歌手だったことも判明しました!!
少年時代には“天使のようなボーイソプラノ“で全国童謡歌唱コンクールで、日本一に輝いたこともあるとか。
何だか凄い人のようですが、神童と呼ばれた天才少年はなんと、皇室献上曲の歌唱を務めるほどのスゴい人だったんです。
その人の名前は横田裕一さん。
敬宮愛子様ご誕生記念に皇室献上されたと言われている曲名が、「愛の詩」なんです。
2002年に皇室に献上されたこの曲が聞ける動画も見つかりましたので、一度是非聞いてみて下さいね。
何だか心が現れるような清々しい気持ちになってしまいました。
はいだしょうこまとめ
以上、はいだしょうこさんの歌唱力についてお伝えしました。
宝塚音楽学校を卒業して、宝塚歌劇団に84期生として入団してから、宝塚時代の芸名「千琴ひめか」はわずか4年での退団。
他のタカラジェンヌたち(トップスターは10年を超える)と比べて、短い活動期間だったようです。
それでも、はいだしょうこさんの高い歌唱力は今なお健在!!
うたのおねえさんの時とは、歌い方も異なるため「声楽」用の声を作るために、10分間以上準備をするとか。
正に歌のプロフェッショナルですね。
2012年には一般男性と結婚されましたし、独特のセンスの絵についてもご紹介したいのですが、この辺りで筆をおかせていただきます。
(今では、宝塚時代のことよりも、子供が泣いて怖がる変なスプーの絵の方が有名になってしまっているようですね。)
ほわほわブログでは、はいだしょうこさんのさらなるご活躍を心から応援しています!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。