囲碁プロ棋士最年少記録を更新した少女。
それが仲村菫(なかむらすみれ)さんです。
賢そうなまなざしと、落ち着いた雰囲気が漂う15歳の女の子。
そんな仲村菫さんの経歴・ご家族・実力についてご紹介します。
仲邑菫の経歴がヤバい!囲碁界のサラブレッド誕生
仲村菫さんは2009年3月2日、東京で生まれました。
3歳で囲碁を覚え、その7か月後にアマ囲碁大会に初出場。
5歳のときに、関西アマ女流囲碁名人戦Bクラスで優勝。
6歳で第4回渡辺和代キッズカップ優勝(未就学児の大会)
父親の仕事で、大阪に移住し様々な大会に出場。
8歳で関西棋院の院生になりました。
その後、実力を伸ばすために、以後の本場・韓国に一家そろって引っ越し。
9歳でパンダネットレディース囲碁トーナメント優勝。
その功績が認められ、英才特別採用推薦棋士の第一号に。
日本棋院が、今最も期待している若手棋士なんです。
史上最年少・10歳でプロ棋士に
仲村菫さんは、2009年3月2日生まれの15歳。
2019年4月に、10歳0か月のプロ入り最年少記録を樹立されました。
プロ入り試験の対局をした張栩九段は、「9歳でこれだけ打てるとは!」と衝撃を隠せなかった様子。
井山裕太九段(日本)・崔精九段(韓国)・黒嘉嘉七段(台湾)・曺薫鉉九段(韓国)と記念対局を次々に行うことに。
敗戦したものの、国内・国外問わず高い実力の持ち主だと、認められる結果になりました。
これまでの最年少記録・藤沢里奈女流名人(11歳6か月)の記録を大幅に短縮。
若き天才棋士の誕生となりました。
仲邑菫さんの経歴
3歳から囲碁をスタート
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3歳7か月でアマチュア大会初出場
↓
5歳にしてアマ女流名人戦Bクラスで初優勝
↓
10歳でプロ棋士入り
一般のプロ棋士入りの流れ
日本棋院で14歳までにプロ候補の院生になる
↓
院生同士でリーグ戦を争う
↓
リーグ戦での成績上位者のみがプロ採用
↓
プロになれるのは23歳未満まで
その成長のスピードたるや圧倒的…早いなんてものじゃありませんね!
英才特別採用推薦棋士第一号!
日本の囲碁界の棋力が衰えを見せ、中国・韓国・台湾などに後れを取り続けてきました。
国際大会で活躍を期待できる棋士の育成が必須。
危機感を覚えた日本棋院が、若手棋士の発掘・育成に力を注ぐため新制度を導入することに。
それが、「英才特別採用推薦棋士」枠です。
「国の伝統文化である棋道の継承発展、内外への普及振興」をスローガンに掲げて、その第一号となったのが仲村菫さんだったのです。
対象者は、囲碁世界戦での優勝記録保持者。
採用条件は原則、小学生のみ。
候補の条件は、日本棋院の棋士2名以上の推薦を必要とします。
仲村菫さんの実力の高さ=海外棋士たちへの対抗馬とするべく、作られた制度という声も。
このウワサが真実だとしたら、それだけ期待が大きいことの現れと言えるでしょう。
英才特別採用推薦棋士
2名以上のプロ棋士からの推薦+7大タイトル保持棋士など6名による審査
審査で3分の2以上の賛成がなければ認定されない
採用年齢は原則として小学生に限られる
なお、審査では6名全員一致の推薦となりました。
異例のスピードで菫さんをプロ棋士入りさせた日本棋院の目的。
それは、囲碁世界王座の奪還だったのです。
仲邑菫の家族がヤバい!家族そろって囲碁一家?
次に、仲村菫さんのご家族について目を向けてみましょう。
囲碁一家に生まれ育ったサラブレッドだということが、理解できるようになります。
両親ともに囲碁の実力者
父親:仲村信也九段(プロ棋士)
母親:仲村幸(アマ六段で囲碁のインストラクター)
冒頭でご紹介した通り、仲村菫さんは3歳から囲碁をスタート。
ご両親ともに囲碁に造詣が深く、幼い頃から囲碁の手ほどきを受けて育ちました。
囲碁の基礎を叩きこまれ、一家そろって囲碁の本場・韓国に移住するなど、熱心な教育を施されてきたわけです。
そんな仲村菫さんの叔母さんもプロ棋士だったことは、ご存知でしたか?
叔母もプロ棋士だった!
叔母:石井茜三段(プロ棋士)
母親の妹である石井茜三段も、囲碁界のプロ棋士として活躍されてきました。
物心つく前から囲碁を学べる環境が備わっていたことも、菫さんが囲碁に触れる機会に恵まれていたことの証拠。
まさに囲碁のエリート一家に生まれ育ったサラブレッドと言えるでしょう。
そんなエリートだった仲村菫さんも、棋力の伸びに悩んだことがあったのです。
棋力の伸び悩みに対し、どのようにして解決したのか?
それは、日本を飛び出すことでした。
仲邑菫の実力は韓国叩き上げ!囲碁世界一の強豪国で修業
囲碁世界一はどこの国でしょうか?
答えは韓国です。
芸術的な側面を持つ日本の囲碁と違い、スポーツの一分野として勝敗を競う韓国囲碁。
つまり、強くなるためには、日本を飛び出して韓国に渡るのが一番だったのです!
その根拠は過去の世界囲碁選手権で、韓国が15回も優勝していること。
「世界囲碁選手権富士通杯」での記録
第1回(1988年) 武宮正樹
第4回(1991年) 趙治勲
第5回(1992年) 大竹英雄
第6回(1993年) 劉昌赫
第8回(1995年) 馬暁春
第9回(1996年) 李昌鎬
第15回(2002年) 李世乭
第17回(2004年) 朴永訓
第19回(2006年) 朴正祥
第21回(2008年) 古力
第22回(2009年) 姜東潤
第23回(2010年) 孔傑
第24回(2011年) 朴廷桓
引用元:Wikipedia
早碁(はやご)と呼ばれる、速いテンポで指すスタイルを取り入れてから、日本は勝てなくなってしまいました。
早碁=1手打つために10秒とか20秒とか制限時間内に打たなければいけないルール
囲碁で強くなれば成り上がれる!
囲碁人気が爆発的に高まった結果、テレビ中継に合わせて長考から早打ちが主流に。
韓国の囲碁の強さは、プロ棋士が子供たちの憧れの的だから。
子供たちも幼い頃から、以後にどん欲に取り組んでいるのです。
韓国と日本の往復生活で実力を身に付けた!
そんなギラギラした、ハングリー精神のカタマリのような韓国。
仲村菫さんも、7歳のころから積極的に韓国に渡り、囲碁の学習に取り組み始めました。
実力の高さも現地で名高く、同年代では負け知らず!
更に指導者たちからも、恐れられるほどの棋力を身に付けるまでに至ったのです。
毎日毎日6時間から9時間も、囲碁漬けの生活。
対局では、相手が大人だろうと一歩も引かず、手を抜かれたら真っ赤になって怒り出すほど。
負けず嫌いで気が強い菫さんは、9歳のころすでに「勝負師」として対局に臨んでいたのです。
囲碁だけでなく韓国語もペラペラで、ご両親にレクチャーすることもあったそうですよ。
徹底して勝つための囲碁を身に付けた!
囲碁の強豪国と言えば、昨今は韓国や中国の名前挙がります。
じっくり時間をかけて打つ芸術的なとらえ方をする日本。
それとは対照的に、あくまでも勝負事ととらえ、スポーツ的な打ち方をする中韓。
日曜日のお昼ごろにのんびりテレビで流れる囲碁番組の、どことなく牧歌的な雰囲気とは正反対なんですね。
その弱体化した棋力を鍛え上げ、再び世界王座に返り咲く。
この悲願達成のために育成されたのが、仲村菫さんだったとしたら…?
徹底して勝ちにこだわる囲碁を身に付けたエリート棋士として、海外と対等以上に渡り合える日が来るのもそう遠くないことでしょう。
仲村菫まとめ
囲碁現役プロ棋士を父に持ち、囲碁のインストラクターを母に持ち、叔母も現役プロ棋士。
3歳から囲碁を始めて、7歳で韓国での修業を開始。
日本棋院が特別な採用枠を用意してまで、プロ棋士入りさせるだけの理由。
それは、囲碁王座世界一の座を取り戻すため。
韓国の囲碁世界一の実力の源は、スピーディーな早碁(はやご)が主流になったから。
それを学んだ菫さんは決断力が人一倍早く、子供とは思えない大局観を備えています。
7歳で初めて韓国に渡り、1週間ほど囲碁を勉強。
8歳になると月に平均1週間~2週間滞在。
9歳少し前から1~2か月単位で韓国に渡り修業を積んでいきます。
2018年は年間合計240日にも渡る長期滞在で、さらに修業に磨きを掛けられました。
仲村菫さんの今後の活躍に期待しましょう!